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奥村晃作歌集『空と自動車』
うまい歌のとても少ない歌集である。 つまり、奥村晃作は決して歌はうまくない。 では、下手かと言うと、一言では言えない。 つまり、上手く書くことを嫌っている節がある。そうして、長い間書いているうちに上手く書くことも、もはやできなくなってしまったのである。言わばヘタウマである。確かにヘタウマという行き方はある。マンガではそれで一家を成した作家も多い。 ヘタウマ路線をゆくうちに、開き直ってただごと歌、なんて旗印を立てたのがマイナスに働いたということであろう。この歌集で見る限り歌に深化と進歩があまりない。ただ、いくつかの歌が矢場で極くまれに的の真ん中を射るように詠われてきた、というのが正確な言い方かもしれない。 次々に走り過ぎゆく自動車の運転する人みな前を向く 発見や認識の歌というより、「そう言われればそうだ歌」ではある。これは、有名な歌である。次の歌などは、確かに人の歌わない見方を詠ったところに意味がある。 とべら咲き車輪梅咲く岩鼻に重さ六トンの柊二歌碑立てり もちろん師匠である宮柊二の歌碑であるが、それを重さ六トンと持ってくるのはなかなか非凡だ。歌碑はおおよそ尊敬・畏敬の対象とみるところを、重さで見るところがよい。 どこまでが空かと思い 結局は 地上スレスレまで空である 凡作の山のなかで、ふっとこんな凄い歌が出てくる。まあ、ものごとは紙一重です。これはすばらしく面白い把握だ。しかし、これを自分で認識の歌だなどと言うから、せっかくの歌に余計な評価が入る。そして作者自身はといえば、不満も出る。 「奥村はふびんな奴だ」その歌の「ただごと歌」が無視同然で 自分の不遇を戯画化して書いているのであるが、本音でもあるわけだ。しかしこれは発見だという歌もたしかにある。次の歌は、あまり省みられていない歌であるが、とてもいい。 轢かるると見えしわが影自動車の車体に窓に立ち上がりたり 地面にある影が轢かれると思った瞬間、その影が敏捷に立ち上がる様が速くて、歌を読んでも一瞬とまどうほどだ。それが無駄なく、うまく単純化されている。 次の歌でもそうだが、初期の頃は気づきの歌を丁寧に詠んでいる。 真面目過ぎる「過ぎる」部分が駄目ならむ真面目自体(そのもの)はそれで佳(よ)しとして これらの歌の面白みを、周りの評価によって気をよくし、それ以上深化しなかったというところに、本人の思う今日の不遇があるのだと思う。そうして万葉集第一歌の藤原鎌足のように、自画自賛の世界を引っ張り出してくる。 われはもや「わが歌」得たりひとみなの得がたくあらん「わが歌」得たり 短歌には、楽しみの代わりに安住はない。不幸にしてということだろうと思う。自分で自分にレッテルを貼って、安住している場合じゃないぞ、奥村! 歌に好意を持ったので書いているわけであるが、以上が歌集評であると同時に、わたくしの奥村晃作論である。
『おのずからの世界』 加藤克己
歌人と宗教家は長生きすると言ったのは誰か。そして、この本にその秘密が隠されている。 加藤克己は、年々高齢化する現代日本の歌人群の星であろう。なんと言っても明るい。大正四年に生まれ、戦中から敗戦までの十年間を二十代として過している。しかし、戦争にまつわる歌人達の歌を論評する姿勢には浮世離れしたものがある。その確信犯的な明るさが、長寿の星たる所以だ。 加藤のモダニズムの本質は実は堀口大学訳の西洋詩、西脇順三郎や滝口修造らのシュールリアリズム理論から来ていることが語られる。そして近藤芳美や山本友一らと戦後逸早く「新歌人集団」を結成することになる。そのような経緯や日々の思いが随談の形で語られる。 加藤の妻を詠った挽歌がある。 どの部屋を歩いてみてもどこにもいないおーいと呼んでも答えてくれない 加藤克己の足跡を知る格好の一冊である。 (角川書店 〒102-8078 東京都千代田区富士見2-13-3 電話03-3817-8536 定価2381円<税別>)
物そのものを詠う、という魅惑的な言葉を考える。
ただその物を謂うだけでは、小説の1シーンの説明文になってしまうけれど、その物を 読者の心の中で一瞬輝かせる表現があるはずだと思う。そのためには、そこに象徴としてモノそのものに迫る言葉がなければならない。でなければ、「物そのものを詠う」という世界へは近づけない気がする。 では、象徴とはなにか。 家裏に立てて忘られて梯子あり銀河は一夜その上に輝(て)る 高野 公彦 (歌集 汽水の光) 立てられている梯子を詠うのがすごい。高野公彦は、この歌を作ったあと、自身の所属結社のコスモス賞を受賞する。梯子に銀河が来て、梯子というモノは確かに象徴的なナニモノかになった。物そのものを詠って、物が象徴として光っている。 天泣(てんきふ)のひかる昼すぎ公園にベビーカーひとつありて人ゐず 高野 公彦 (歌集 天泣) ベビーカーそのものをこれだけ詠った歌はほかに見ない。フェリーニやアントニオーニを初めとする、イタリアのヌーベルバーグ以降の監督にこの表現手法をみる。不在、空白、間、飛躍という意識的な観念を映像の世界に持ち込んで表現したのだ。もはや懐かしい話だけれど、有形無形にぼくらは大きな影響を受けている。高野のこの歌もまさにそうだと思う。 あはあはと陽当る午後の灰皿にただ一つ煙(けむ)を上ぐる吸殻 宮 柊二 (コスモス) 山西省で名高い宮柊二の、コスモス創刊号に寄せた昭和28年の歌。それまでの抒情歌の系譜に大きな一石を投じた宮は、後に学生高野公彦の師匠となる。この歌は、まさに吸殻というモノそのものを詠っている。 4句で煙をけむと読ませているところに、ぼくは泣かされる。同じ越後の出身であるから分かるのだが、越後ではけむと言う。それが丁度定型に嵌ったのだ。ただ、煙に巻くという「けむ」もあり、ただ方言であるということでは無さそうであるが。 この1首は、ヌーベルバーグと言うより、その前の例えば、エイゼンシュタインのモンタージュを始めとする映画理論により一シーンを見ているようだ。 次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く 奥村 晃作 (コスモス) これは人をあたかも物のように見て、人そのものを詠った歌だ。時代を今に直すと、こうも変わるものかと思うほど変わる。もはやヌーベルバーグやモンタージュのような映像的なインパクトはやってこない。理由やものの見方といった、より観念的なモノが先行している感じがする。人の情景を詠っているのに、映像喚起力は、宮柊二の歌に比べると明らかに希薄だ。 終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて 穂村 弘 (歌集 シンジケート) 穂村弘の処女歌集から。これも、確かに<降りますランプ>という物そのものを卓抜に詠っている。この歌は、映像もくっきりしており、カラーで瞬時に映像が喚起されるように装置が配備されている。と同時に、取り囲まれて、というちょっと人の思いつかない把握のゆえに、物と人が象徴的に対比させられている、と読者に感じさせる。そういう観念性も併せ持つ。 この意味で、奥村の歌よりも一歩、物そのものを詠うという世界へ踏み込んでいる。 そのしつぽじやまな感じの犬きたり欄干沿ひを引かれて行くも 小池 光 (歌集 時のめぐりに) 先に引いた穂村弘の歌のように、際立った映像喚起力があるわけではない。奥村のような、理由を叙述してある種の観念性を際立たせる、というのでもない。しかし、この歌は確かに犬というモノそのものを鋭く詠っている。それは、犬の属性表現からやってくる。「そのしつぽじやまな感じの犬」という、普通でありながら極めて個性的な、犬の属性についての表現によって、犬そのものの存在の1局面を、提示している。 沈丁花なまなま薫るよるのみち他人の家の生け垣に沿ふ 同じく小池光、『時のめぐりに』から。生け垣の属性を、はっとする表現によって言い当て、生け垣という物そのものを鋭く詠っている。 つまり、「他人の家の生け垣」という、当たり前すぎてだれも表現に使わないような言い方であるゆえに、言われてみると全く意表を突かれ、はっとする新鮮さがある。物の存在の1局面を、見事に表現している。 物そのものを詠うとは、作者の数だけ、まだまだ手法も技法も開拓する要素があるのかもしれない。映画や、舞台や、俳句も、散文も含めて、表現であるかぎり、相互に交差する部分がある。その夫々の場面における、「物そのものを詠う・表現する」という課題に、つねに興味をそそられのだ。 物そのものを詠う、というテーマは確かに存在するし、短歌と言う極めて短い詩形であるがゆえに、そのテーマが一層生きるとも思う。
短歌人2008年9月号の酒井佑子さんの歌のなかに、人名が読み込まれており、短歌の中での人の名について考えさせられた。
それはつまり、リアリティーの結晶としての人名の詠みこみである。 無論、その使い方が卓抜でなければならない。 この歌における人名の果たす役は極めて大きい。 卓抜であり、感動的だ。 SEXといふことをしてみたかつたと直子言ひきその四十歳の死の七日前 酒井 佑子 人名で即座に思い出すのは、斎藤茂吉のヒトラーの名前を読み込んだ歌であるが、たしか、メンデルスゾーンを詠み込んだ歌があったはずだと思い、調べてみる。 海の彼岸より通信あり砲身に鋳られて無くなりしメンデルスゾーン 斎藤 茂吉 (歌集寒雲) 昭和12年に詠まれた歌である、当時のドイツは隣国フランスの強大な軍事力に比して、いまだ貧弱な軍隊であって、猛烈な勢いで再軍備化を図っていた。 準備万端整ったとしてこの歌の2年後にポーランドに侵攻。第二次世界大戦の火蓋を切って落すのであった。 このメンデルスゾーン像を、茂吉は明らかに留学中に見たのであろう。 リアリティーがある。 人名でも、作者自身の名を詠み込むこともある。 短歌人若手の一人、鶴田伊津さんの瑞々しい歌から。 憂鬱に傾く今日の鶴田伊津ひしゃくで掬うように連れ出す 鶴田 伊津 (歌集百年の眠り) この歌は忘れがたい。 一度は自身の名を詠みこむのもいいと、この歌を読んで以来思ってきたものだ。 そこで、今月本当に自分の名を詠みこんでみたのである。 同じく短歌人9月号より。 巻物を口にくはへて消えなむと印を結びし長谷川知哲 長谷川 知哲 歌における人名について書いていたら、まさに同時に小池光の「短歌人物誌ー歌人3」にあった。 角川短歌9月号に連載されている、最終回の文章である。 斎藤茂吉、中島栄一、大島史洋、河野愛子、塚本邦雄、佐佐木幸綱、花山多佳子の歌を引いて、歌の中の人物名とそのリアルさを解説している。 存命の歌人に対しては、かなり挨拶文の意味合いもあって、その場を利用しているなという気もしたが、小池さんの文はいつも面白い。 名前を出すという直截な技法は、高い歌力に裏打ちされなければ、全くの失敗に陥るおそれもあるが、真情のあるかぎり、その直裁さが自ずから力を発するというのか、迫力満点である。 小池さんの一文に一言付け加えるとすれば、斎藤茂吉と中島栄一を結ぶ、間の土屋文明の歌であろう。 朝々に霜にうたるる水芥子となりの兎と土屋とが食ふ 土屋 文明 (歌集 山下水) 文明は、戦争末期昭和20年5月末に、空襲によって自宅が消失する。6月初めに群馬県吾妻郡川戸に疎開する。 そこで26年11月まで食料事情の極めて厳しい疎開生活をする。 これは文明一家にかぎったことではなく、日本人全員がそうであった時代だ。 一握りの山林を借り受けて切り開き畑にする。山の斜面を堆肥を担いで畑に撒きにゆく。 野草・山草は貴重な食料であった。あるとき、山を流れる清水に偶然水芥子(みずがらし)を見つけるのである。 それをあちこちの水中に分散させて、殖やそうとする。 これがクレソンである。 さすがに植物に詳しい文明である。当時クレソンを知る人は少ない。 「兎と土屋とが食う」という歌の背景である。 歌集「山下水」は、疎開のうち、戦後3年間を詠った歌集である。 ツチヤクンクウフクと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し 飢餓の恐怖から離れて、余裕を持つことの出来た僥倖。 そんなこころもちが表れた歌である。「こぞのこと」であるから、去年の空腹を回想している。 堅物と思われている文明にこんな歌があるとは、読者も驚くだろうか。この歌は、疎開時代の代表歌の一つとして人口に膾炙している。人名の詠みこみに、こんな方法があったかと瞠目させられる。 時代を現代に移すとこんな歌がある。 佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず 小池 光 (歌集 日々の思い出) このくらい凄い歌だと、やはりセンセーショナルになる。 人名の歌を論じるときには外すことができない。 この人物が実在の生徒かどうか、だれでも即座に考える。 しかし、いろいろ差しさわりがあろうにと、いくつかのことをだれでも瞬時に考える。 その実在か虚構かという境界を孕んだまま詠われているところが、また読者のイメージを否応なく広げる。 そういう歌である。歌は旧かなでも、歌集名は新かなで書くのか、などと妙なところにもまた感心する。 人名とリアリティー、これは歌の中に人名を見る度に思うテーマである。
『大正歌壇史私稿』 来嶋靖生
一気に読んでしまった。凄い本がでたものだ。地味な題名に騙されてはいけない。大正歌壇の濃密さは現歌壇の比ではない。その波乱万丈なスペクタクルを来嶋靖生は概観してみせる。節、赤彦、茂吉、白秋、牧水、空穂、夕暮、晶子、迢空、善麿、文明他、書中に出てくる綺羅星のような歌人群を、まるで天井桟敷に座って、リアルタイムでその進行を観ている気持ちにさせてくれる。 著者の明快な方法論にそって編年体で構成されている。中でも大正十二年の関東大震災に際しての歌人達の歌を「これらの歌の迫力は近代短歌半世紀の到達点をしめすといってよい。」と書き、詳細に採り上げている。当時の結社流派により、こうも優劣があるものかと、平成のぼくらの目からは見える。 歌誌から歌集に纏める迄に、大正歌人がいかに厳しく推敲に心を砕いたか、厳選したか、その実例を豊富に掲載して、まことに示唆に富む。また歌壇の論争史にも触れ、歌人の恋愛、離合集散にも触れている。 (ゆまに書房 〒101-0047 東京都千代田区内神田二-七-六 電話03-5296-0491 定価2500円<税別>) 短歌の国際化と題し、日本歌人クラブ国際部が主催して、河野裕子さん、アメリア・フィールデンさんを招き、生沼義朗さんの総合司会、間ルリさんの司会で講演会が開かれた。 オーストラリア生まれのフィールデンさんは、自身の5冊の英語歌集と、八冊の英訳歌集を出されている。そのなかに、河野さんの歌集「日付のある歌」がある。当日はこの歌集を中心に話が進んだ。その中で特に話題になった歌を参考にしながら、英語短歌の今に迫ってみたい。 河野さんの1行書きの短歌は、フィールデンさんによって5行書きに改められている。まず、その翻訳をみてみよう。 一語一語英語に移し変へられて屈伸やはらかき鉛筆の文字 one by one my words are transformed into English with the gentle flexing of her penciled letters フィールデンさんによると、5行にした上で、それぞれのフレーズを短・長・短・長・長になるように意識をしているとのことであった。この1首は、その意味では見事に57577に代わる長短のアレンジメントが生かされたものである。 これは、フィールデンさんが河野さんを日本に訪ね、その場で歌の翻訳の鉛筆を握っている光景が詠われている。意味は過不足のないシンプルな言葉で翻訳されていて好感をもつ。では、語順はどうか。句に分けてみてみよう。 ①一語一語/②英語に移し/③変へられて/④屈伸やはらかき/⑤鉛筆の文字 ①one by one ③my words are transformed ②into English ④with the gentle flexing ⑤of her penciled letters 原文の2句3句を、英語では逆転しているが、これは英文を読み下す上で自然な順序であり、スムーズである。他の初句、4句、結句は原文と同じであり、翻訳の妙が発揮されている。 この歌を最初に取り上げたのは、まさに長短といい、言葉の斡旋といい、句順といい、この英訳歌集のなかでも、短歌の翻訳という作業のひとつのレベルを、端的に表していると考えるからである。 では、おおよそこの歌のように規則的な翻訳転換ができるのだろうか。次の1首をみてみたい。日本語英語、それぞれを鑑賞していただくために、まずは余分なものは付けない。 三首目になづみをりしが目をあげてEVERがいい詩的だといふ lifting her eyes which had been fixed on the third tanka, she says ‘ “ever” is better, more poetic’ なづむとあるところをfixedとしたのは賛否のあるところであろうが、一層単純化したとも言えよう。訳者の醸し出す解釈上の緊張感は、なみなみならぬ力量を感じさせる。 英語の下の句をみると、実はこの1首は複雑な構造を持つものであることが分かる。つまり、フィールデンさんが三首目を見て言ったことが、河野さんによって日本語に翻訳され、短歌となっているのである。それを再度、フィールデンさんが英語の翻訳をしている。 つまり、英訳の下の句のコーテーションマーク(かぎ括弧)の中は、最初にフィールデンさんが発した言葉を指し、もともとの真意を指している。しかし、この併記された日英の1首を見るときに、ぼくらは当然日本語をもとに英語の訳を批評的な目で見るのである。 キャッチボールのやうなこの構造に気づく前に、初見の際のぼくの印象は、EVERがいい詩的だといふ、はEVER is good. It’s poetic. であった。 betterには違和感があった。原作には比較対照のニュアンスはそれほど強くない。むしろ、EVERがいい、は一つを選んだ気持ちが表れていよう。詩的だ、というのも比較は大きな役割を持たされてはいない。軽く断定するほどの気持ちだとすると、it’s poetic. が適訳かもしてぬ。 この時点で、ぼくが言葉に幾らかこだわったのは、翻訳であるかぎり、言葉の理解、言葉の質が大きな役割を果たすことを再確認しておきたかったからである。 つまり、英語を母国語としないものが十全な鑑賞に至りがたいことは、容易に理解できる。英語自体を、ネイティブのように文化背景を含めて理解できていない自分が、ネイティブのようには鑑賞できない。勿論、ネイティブと言えども、文学や詩に造詣が深いのか、興味があるのかによって、違いが出てくるわけで、その意味では、ぼくらにも分かる範囲で鑑賞し楽しむ権利が充分ある。以上を踏まえた上で今一度この歌を技法の上からみたみたい。 ①三首目に/②なづみをりしが/③目をあげて/④EVERがいい/⑤詩的だといふ ③lifting her eyes ②which had been fixed ①on the third tanka, ④she says ‘ “ever” ⑤is better, more poetic’ 以上のように、上句下句の区別は元歌と同じである。意味上から言えば下句は she says “ever is better, more poetic” となるのであろうが、フィールデンさんの定型観としての下句「長・長」を実現するために、彼女は句跨りを選んだのである。 また上句の終わりには文法上必要不可欠ではないコンマが付けられている。これは、元歌の切れとまではいかないが、目をあげての後の小休止を表したものであると思う。 切れに関して言えば、次の歌を見てみたい。 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る hitting you hitting the kids my hand feels on fire – frantically loosening my hair I go to bed 元歌の3句切れを、英語ではハイフォンで明らかに表している。 ここで、先に結論めいたことを言えば、英語の短歌は、一人の優れた訳者を持つかどうかに関わらず、広く根付くかどうかは短歌の技法そのものが確立されるかどうかに懸かっている、というのが今回フィールデンさんの翻訳をみた私の感想である。英語の短詩の場合、ただ短い詩でよければ、言葉が優れている限り短歌である必然性はないわけで、短歌と呼ぶ理由も無い。5行短詩とでも言えば新しいジャンルの確立も可能だ。しかし、短歌の定型が持つ時代を超えた求心力を、英語に生かせれば英語短歌の確立も可能だと思うのである。それには中心となる一定の定型技法の確立が不可欠のように思われる。 短歌の英訳上の技法としてフィールデンさんが採用しているものをここでまとめてみれば、 1.句ごとの5行詩とする。 2.上句下句の区別をつける。 3.初句から、短・長・短・長・長の英語句を目安とする。 4.元歌にある句間の小休止はコンマで表す。 5.元歌にある句切れはハイフォンで表す。 このようになろうか。小休止と句切れについて、いま少し考えてみたい。 日本語の短歌の不思議な魅力は、読み下したときの勢い、呼吸、連続不連続を支配する小休止や切れ、そこに意味が重なり、離れ、絡み合って、読者の情緒を揺さぶり、感覚を覚醒させ、驚きを生み、しみじみとした共感を生むところにあろう。それが韻律の力であろう。 私の感覚では、フィールデンさんが苦心の末に作り上げた技法のうち、4番5番、つまり小休止、句切れがこれからの鍵を握っているように感じられる。 つまり、短歌の豊かな音韻をいかに翻案するか、それが難しいのである。 次の歌をみてみたい。 昨日より仕事持ち越しこの人は冷えパック貼りてふらふら歩く this man who has work postponed from yesterday, cook-pack affixed staggers around 元歌には、初句のあとにゆったりとした小休止があり、3句のあとにもはっきりとした小休止がある。この2箇所でそれぞれ1拍入れることが、この歌に不可欠の魅力を与えている。つまり韻律のよさである。試しに2箇所とも休止なしで読んでみれば、その理由は明白であろう。つまり、メリハリ、歌の緩急が無くなって意味自体も浅薄になってしまうのである。韻律と、読者の受け取る意味の価値は密接に結びついている。 フィールデンさんが英語を実際に朗読したときの仕方は、上句3句を一気に読み下して、yesterdayのあとコンマが示すように、若干の休止をし、下句に至って4句のあと、句切れに相当する大休止を入れている。そのあと静かに結句を読んだのである。 日本語の短歌の小休止・句切れは誰が読んでも分かるものであるし、等しくその感覚を共有することができる。英語短歌の場合も、その小休止・句切れの共有が、韻律に相当するものの翻案として、鍵になるのではないだろうか。 フィールデンさん苦心の句切れを表現するハイフォンも、ある歌では的確に付けられ、ある歌では付けられていないという場合がある。有効な技法として是非完成度を高めていただきたいものだ。 君のこゑ聞けどふらふらと海月なり陽あたる遠浅をゆき戻りして I hear your voice but I am a jellyfish wobbling in and out of sunny shoals wobbling = ふらついている よろめいている shoals = 浅瀬 元歌は、初句のあとに小休止、そして3句切れである。英語の場合は2句のbut I amという言い出しが音として魅力的なので、2句に独立させたのであろう。上句下句は分けるという定めを守るとしたら、3句はa wobbling jellyfishとなり4句がin and outと短句になろうか。しかし、破調はどんな定型にもつきものであるし、それはそれで役割がある。要は、英語の定型とでも言うべき一定の規範を如何に作り上げるか、それに懸かっているように思われる。 最後にもう一つ、言葉自体における技法として単純化を挙げてみたい。無駄な言葉、装飾的な言葉、単語自体に語らせようとする目論見、それらを極力廃して単純化することが、英語短歌の短詩としての格調を生むだろうと考える。 次の歌を挙げて最後としたい。 さびしいよ、よよつと言ひて敷居口に片方の踵でバランスを取る I’m so so, lonely! I wail balancing on one heel at the threshold wail = 嘆き悲しむ threshold = 敷居 フィールデンさん訳のうちでも、後々名訳と呼ばれよう。 歌会では、自作の歌について第三者の声を聞くことができる。これは決定的な効用だ。複数の人が批評をすることによって、自分では思いもしなかった、自分の歌に対する読みを知ることも多い。 歌会に歌を提出することは、自分の歌を第三者の批評・見方の俎上に載せることだ。そこでは、自分はこう読んで欲しいという弁解は無益だし、説明も不要だ。表現されて提出されたものは、すでに作者の思惑の外で自立する作品だから。 ぼくらは歌を作り、推敲する。そのとき、いかに第三者の目をもって自分の歌を見、批評できるかどうかに悩む。しかし、自分で自分を第三者にはできない。第三者の目を想像するだけである。歌を一首作ったとき、その時点では自分で思う最善の歌なのだ。誰あろう、自分が一番いいと思っている。 いいと思い作った歌を、あらためて第三者的に見るのは、とても難しい。それをいくらかでも解決するために、少し時間を置いて、その歌を忘れてみるのがよい。それが、三日間であったり、一週間であったり、半月であったり、人によって忘れる能力が違う。その点、歌会では自分以外の全員が第三者だ。 歌会はまた、他人の歌についての、自分の読みを深くする機会でもある。緊張感のある歌会場では、いつ自分に発言の機会が回ってきてもいいように、もし自分だったらこう言う、という内容を考え準備する。それを発言しなくても、その歌について批評する人たちの意見と照らし合わせて、自分の批評自体を常に検証している。人の批評と同じこともあり、見落としていることもあり、全く逆のこともあり、ああ発言しなくてよかった、恥をさらすところであった、と思うこともある。 そんななかで、誰も指摘しないのならばこれは是非言いたいという内容を発言する。それに対する反応をまた知ることが出来るのが、歌会の良さだ。 双方向のフィードバックが常にリアルタイムで飛び交うのが歌会だ。 ではウエップ歌会はどうか。 私自身は二年ほど前からインターネット上で歌会をやり始めた。最初はリアルタイムの歌会をそのまま移したように、チャットでやってみた。これはこれで野心的な試みだったけれど、難しさもあった。参加者が同時にパソコンの前に座ってスイッチをオンにする必要がある。それは実際の歌会と同じだ。発言はすべてパソコン上に文字で表わされるので、文字打ちの遅い人の場合はなかなか難しい。 また、発言を予めワードなどに参加者が打ち込んで、まとめておく試みもしたが、文字の分量が多くなると、その場で即座に読んで十分理解することが難しくなった。予め準備する発言内容に、行数制限をつけたりもした。 大阪、九州、東京、秋田、それぞれの場所に居る人と同時に歌会ができるのがチャット歌会の効能で、なおかつリアルタイムで出来る歌会でもあった。しかし、定期的に催すには、つぎ込むエネルギーと、そこから得るものとの間にギャップがあった。皆が集合して大変な割りに、内容は微温的になってしまう。時間の制約があり、そのため発言も制約される。その場でキーボードに打ち込むという作業であるため、リアルタイムではあるが、丁々発止とはいかない。互いに、あるいはそれぞれに、発言を追いかけて討論の形式は取るが、全体に発言に深みが欠けた。 そんな試行錯誤をしているうちに、メンバーもほとんど入れ替わり、現在の切磋歌会場の形式に行き着いた。ブログそのものを歌会場にしてしまう方法だ。これは、募集に応えて寄せられた詠草を、作者名は伏せてアップし、歌会期間中それぞれのコメント欄に発言を書き込むものである。 これだと、じっくり考えて都合の好いときに書き込むことが出来る。後続の発言に対して何度でも新たに書き込むことも出来る。 世話人であるぼくが、全員の発言の様子を見計らって、数日後に、「では作者名を明かしてください。」というお知らせをする。そのとき、作者が自解を書き込むのも自由である。 この方法で、およそ月に二回、既に切磋歌会は四十回を超えた。方法はおそらく最善に辿りついた。しかし、歌会の質は、あくまで出された歌の質と、発言の内容にかかっている。そこに最大の要素があることは疑いが無い。そのために、切磋琢磨をもじって切磋歌会と名づけてあるのだが。 さて、歌会の効用というとき、もうひとつ私が貴重に思うのは、詠草の提出というプロセスである。 切磋歌会を例に取れば、歌会場のサイトに次回歌会の案内が出たときに、自由題一首の候補を考える。歌人によって、募集に合わせてそれから作る人、予め候補作を準備している人、あるいは複数の歌を常に推敲しつつ新たな歌を作っている人、さまざまであろう。 そこに、一首を選ぶ作業が入る。これが重要なのだ。つまり、批評される歌として自作の歌を選ぶ時に、一瞬でそこに第三者の目が導入される。率直で歯に衣着せぬ批評者たちを念頭に置いて、これでは批評に耐えない、耐えると、選別している。 これを、単に推敲作業をしている時と比べると分かりやすい。自分でいいと思って作った歌を、もっといいと思える形に改めて行く推敲。何れも自分の目である。そこに、提出するという選定作業が加わっただけで、新鮮な目が加わるのだ。毎回しっかりした読みをしてくれる、率直で辛辣な批評者たちを思うだけで、迂闊な歌は出せなくなってくる。そう思う気持ちが第三者の目をもたらせてくれる。 こんな簡単な一事が、推敲中の自作の歌の自己評価を一段辛くしてくれる。歌会の効用のうちでも、詠草提出における効用である。 歌会という機会を多面的に如何に利用するか。その効用をしっかり意識して参加することが大切であると考える。
切れと休止と韻律 (短歌人2008年1月号より転載)
丁度一年前に、ピアニストそして打楽器奏者と出会いがあり、三人で短歌ライブのユニットを組むことになった。一年の活動の後に、この度解散したのであるが、その間合計十回のライブを行った。ライブハウスや古民家から小劇場やホテルの宴会場まで、様々な場所で発表した。 ライブは、綿密なリハーサルを素に、当日は即興をふんだんに取り入れる、三人の真剣勝負のようなコラボレーションであった。 自分の短歌を五十首読むのであるが、プログラムは渡さない。耳で聴いてもらうだけの短歌である。その為に、目で見て理解の補助が無ければ分からない言葉は使えない。難解な言葉は使わない。 この一年間の経験で、平易な言葉で短歌を作るくせが身についたような気がする。単語でものを語らないという、ぼくがアメリカで初めて英語を勉強した時と似通った体験であったと思う。 ライブの中で最も印象的だったのは、間の取り方であった。観客の反応は、ぼくの間の取り方に集中していたような気がする。勿論印刷された短歌を持たない観客は、演者の言葉を待つしかない。 短歌に含まれる、切れ・小休止・大休止の効果の大きさに初めて気づかされた一年であった。観客の反応が、切れ・小休止・大休止に添うように揺れ動くのは魔法のようであった。これが韻律の力であろう。 韻律に添うように、鍵盤と打楽器も間を存分に潜ませながら絡んでくる。一首の入りの、シナリオのない瞬間は、まさに三人の真剣勝負であり、結句の後には必ず見えない大休止を置いた。 この結句後の休止は、まるで目に見えるように観客が感受して、ライブ現場の一体感を作り上げた。 短歌ライブは場の表現であり、 メンバーとの、そして観客との、相互作用であった。孤独に作歌する作業とはまた別の、反応をそのまま肌で感じることの出来る至福の場と時間であった。作歌が追いつかない程の多忙な一年であったが、悔いの無い時間を存分に過すことが出来た。メンバーとサポーターに感謝している。 現代の日本人が「短歌ライブ」という名目を見たとき、どんな気持ちになるか? ライブを開くに当り、それがぼくらの第一のチャレンジであり、楽しみでもあった。 何かしら感懐を持つだろうが、はっきりとイメージを持つ人なんかは居るはずがない。そう予想が立つ。おそらく、見当もつかない。それにも関わらず、そもそもライブに来てくれるものだろうか? そんな不安を抱きながら、リハーサルを積んだのであった。ジャンルの違う3人のメンバー。そこで力学が働いた。 聴衆を惹きつけるプログラム、厭きさせないプログラム、裏切らないプログラム、そういう意識が演者には働く。音楽が趣向をこらし、変化の波を入れ込み、ピークを考えて構成を組む。 短歌をリハーサルで読みながら、一気に読み下すのではなく、韻律を元に演劇のように間を取ること、それが自然に導入された。 そもそも短歌には五七五七七の31音のなかに、しばしば切れというものがあり、加えて休止というものもあり、それが読みに韻律を与えている。例をあげてみよう。 予てから願ひつることとろとろと夢のなかにて死んでゆくこと 知哲 例えば、この歌を口語のように一気に読み下してみると、なんとも息苦しく、韻律の妙がなにも発揮されないことが分かる。なぜか? 中ほどの、とろとろと、で切りというものを入れてみる。切りとは大きな休止と考えてもらえばよい。この場合、文法上は切れてはいないのであるが、大きな休止という意味で切ってみる。 予てから願ひつることとろとろと 夢のなかにて死んでゆくこと その上で、今度は小休止を入れてみる。初句の後に。 予てから 願ひつることとろとろと 夢のなかにて死んでゆくこと なおその上で、結句の最後ゆくことのあとに、大休止を入れるのが私のライブでの読み方となった。意識的に大休止をいれるのである。それは、誰にもわからないのではなく、誰にも分かってしまうものなのである。 そして、演劇的な読み方と最初に言ったのは、例えば「とろとろと」のあとの大休止は、ゆっくり3呼吸したあとで、おもむろにやや抑えた声で、「夢のなかにて死んでゆくこと」と極めてゆっくり読むことであった。 このように一首一首、韻律の力を最大限に出すことが、つまりわたしのリハーサルであった。ピアノも打楽器も、それぞれが3人3様のチャレンジをした。 ただ、この人間の声による朗読の密度を考えたときに、50首という長丁場は、聴衆にとっていかにも重苦しいのではないかという意見が出た。まさにその通りであろう。その結果、最後の10首はラップで読もうということになった。 最後に軽みを入れて、ライブ終了後に、気持ちを明るく軽く持ってもらう仕掛けとした。 なお、残り40首の密度の濃い時間をどう救済するかに腐心した。途中休憩を入れるとしても、詩を長時間聞き続けることの重さを思い、フリをいれることになった。 同い年ほどの隣のおじさんが庭でiPod聴ひてるかなり悔しい 例えばこの歌では、歌の途中ごろに、会場の袖から、iPodを手に持って、耳で聞いているおじさんが出てくる仕掛けにした。わたしとおおよそ同年代である必要もあった。袖から急に人が出てきて、音楽にのって身体を揺らしたりしながら、聴衆の前を横切ってくのである。聴衆は最初あっけに取られるのが常であるが、すぐに歌との関連に気づいて、笑い出すのだ。気持ちがほぐれてリラッククスする。じっと緊張して集中するだけではないという、ちょっとしたヒントの提示。笑って和むのである。 このようなフリが随所に挿入されて、ライブの回を重ねるごとに増えていった。特に受けの良いフリは、定番として定着していった。そして、ではいっそ聴衆にも働きかけるフリにしようと生まれたのが、次の歌のフリである。 ふんはりと天使来たりて各々の肩にちひさく触れて行きたり この歌の前には演者から聴衆に向かって、「次の歌は目を閉じてお聞きください。」と予告がなされる。わたしが歌を読み始めると、メンバーの作った天使棒という、綿を先端に付けた棒を持って、静かにメンバーが、あるときは決めてあった聴衆の数人が、会場を回って人々の肩に触れて行くのである。まるで、天使が肩に触れて行くように。その間、天使降臨に似合うチャイムが静かに鳴り響くのであった。 初めて肩に何かしらが触れると、聴衆はびくっとするのであるが、数瞬遅れて、歌との関連が意識され、身を任せるように、ほとんどの聴衆が身体の力を抜くのが通例であった。ライブの短歌も音楽も仕掛けも、その場にしつらえられたものを受容しようとする、それぞれの仕方で。 受容といえば、初めてライブに来てくれた聴衆(次第に聴衆というより観客に変わってきたようにも思うけれど)の、受け取り方もみな見事に違う仕方、それぞれの仕方であったように思う。 一人の女性は、ライブの開始後すぐに目を閉じて聞き始め、最後まで目を閉じて聞いていたと言った。一首一首が、美術館の絵を次々に見るように変わっていったというのだ。 ライブには、ワインかソフトドリンクを片手に、という趣向を入れてある。最初のライブでは目を閉じたまま、小さな声を一首一首に出してくれる聴衆が数人居て、それが演者との呼応となって、わたしには大きな励ましであった。不思議なものだ。自分がステージに立って初めて分かることが、さまざまあるのであった。ライブは、聴衆・観客との呼応・相互作用であった。
歌集「白桃」は、斎藤茂吉の第五歌集である。
昭和8年から9年にかけて詠まれた1017首が収められている。茂吉52歳、53歳に当たる。 年ごろがおよそ似通って居るゆえに、ある種親近感をもって、今回再び読んでみたのであった。 1017首という大部の歌集である。えんえんと写生の歌がつづく。記録としてとどめておく歌というほどのものも多い。さらっと読むほかない歌も多い。つまり、取り上げて読後感を表現したいと思わせる歌は限られている、というのが正直な印象である。それはなぜであろうか? 私には、作品に内在する「吾」「わたし」のありかたと深くかかわっているように思われる。 例えばこんな作品がある。 とことはの力を秘めてかぎろひの立ちたる海に波しづまりぬ 格調高い歌。しかし、わたしには結句の「波しづまりぬ」と言っている作者の客観的な意識が、けっきょくはのんびりしていると感じられてしまう。写生歌と言えども、作者の新鮮な意識、生きている証明としての意識がそこに詠われていないと、わたしにはもはや感動のある歌とは思えない。つまり、自我意識がのんびりしている歌、そんなふうに感じられ物足りないのである。 言葉としてみると、非の打ち所のない歌であってもである。 ただこれだけの数の歌がありながら、駄作がない。下手な歌がない。それは、言葉がとことん吟味されているゆえであり、茂吉の天才的な言葉に対する感覚のゆえであろう。驚くべきことであって、わたしには奇跡のようなものだ。どんなに歌の数が多かろうと、茂吉は自信を持って提出しているのであろうし、その雰囲気がある。 面白い歌、見所のある歌について、茂吉自身が巻末の後記で記している。 「漫然と気づいたものにこのやうな歌もあり、従来の歌に比して幾らか注意せらるべきものともおもふが、併しこれとても時がもつと経つて見なければならない。」 そう書いて、茂吉自身が後記に掲載した歌が10首ある。それらは、私自身も読みながら注意した歌であり、またその多くは土屋文明編「斎藤茂吉短歌合評」に取り上げられている歌でもあった。 民族のエミグラチオはいにしへも国のさかひをつひに越えにき 延々と続く自然詠、写生の歌のなかで、この歌は独特の光を放っている。エミグラチオ、すなわちイミグレイション、移民である。時代は満州問題を白眉とする世相であった。
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