短歌に人名を詠みこむ

短歌人2008年9月号の酒井佑子さんの歌のなかに、人名が読み込まれており、短歌の中での人の名について考えさせられた。 
それはつまり、リアリティーの結晶としての人名の詠みこみである。 無論、その使い方が卓抜でなければならない。 この歌における人名の果たす役は極めて大きい。 卓抜であり、感動的だ。

  SEXといふことをしてみたかつたと直子言ひきその四十歳の死の七日前
                            酒井 佑子

人名で即座に思い出すのは、斎藤茂吉のヒトラーの名前を読み込んだ歌であるが、たしか、メンデルスゾーンを詠み込んだ歌があったはずだと思い、調べてみる。

  海の彼岸より通信あり砲身に鋳られて無くなりしメンデルスゾーン
                            斎藤 茂吉 (歌集寒雲)

昭和12年に詠まれた歌である、当時のドイツは隣国フランスの強大な軍事力に比して、いまだ貧弱な軍隊であって、猛烈な勢いで再軍備化を図っていた。 準備万端整ったとしてこの歌の2年後にポーランドに侵攻。第二次世界大戦の火蓋を切って落すのであった。
このメンデルスゾーン像を、茂吉は明らかに留学中に見たのであろう。 リアリティーがある。

人名でも、作者自身の名を詠み込むこともある。 短歌人若手の一人、鶴田伊津さんの瑞々しい歌から。

  憂鬱に傾く今日の鶴田伊津ひしゃくで掬うように連れ出す
                          鶴田 伊津 (歌集百年の眠り)

この歌は忘れがたい。 一度は自身の名を詠みこむのもいいと、この歌を読んで以来思ってきたものだ。 そこで、今月本当に自分の名を詠みこんでみたのである。 同じく短歌人9月号より。

  巻物を口にくはへて消えなむと印を結びし長谷川知哲
                          長谷川 知哲 

歌における人名について書いていたら、まさに同時に小池光の「短歌人物誌ー歌人3」にあった。 角川短歌9月号に連載されている、最終回の文章である。

斎藤茂吉、中島栄一、大島史洋、河野愛子、塚本邦雄、佐佐木幸綱、花山多佳子の歌を引いて、歌の中の人物名とそのリアルさを解説している。 存命の歌人に対しては、かなり挨拶文の意味合いもあって、その場を利用しているなという気もしたが、小池さんの文はいつも面白い。

名前を出すという直截な技法は、高い歌力に裏打ちされなければ、全くの失敗に陥るおそれもあるが、真情のあるかぎり、その直裁さが自ずから力を発するというのか、迫力満点である。

小池さんの一文に一言付け加えるとすれば、斎藤茂吉と中島栄一を結ぶ、間の土屋文明の歌であろう。

  朝々に霜にうたるる水芥子となりの兎と土屋とが食ふ
                        土屋 文明 (歌集 山下水)

文明は、戦争末期昭和20年5月末に、空襲によって自宅が消失する。6月初めに群馬県吾妻郡川戸に疎開する。 そこで26年11月まで食料事情の極めて厳しい疎開生活をする。 これは文明一家にかぎったことではなく、日本人全員がそうであった時代だ。 一握りの山林を借り受けて切り開き畑にする。山の斜面を堆肥を担いで畑に撒きにゆく。 野草・山草は貴重な食料であった。あるとき、山を流れる清水に偶然水芥子(みずがらし)を見つけるのである。 それをあちこちの水中に分散させて、殖やそうとする。 これがクレソンである。 さすがに植物に詳しい文明である。当時クレソンを知る人は少ない。 「兎と土屋とが食う」という歌の背景である。

歌集「山下水」は、疎開のうち、戦後3年間を詠った歌集である。 

  ツチヤクンクウフクと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し

飢餓の恐怖から離れて、余裕を持つことの出来た僥倖。 そんなこころもちが表れた歌である。「こぞのこと」であるから、去年の空腹を回想している。 堅物と思われている文明にこんな歌があるとは、読者も驚くだろうか。この歌は、疎開時代の代表歌の一つとして人口に膾炙している。人名の詠みこみに、こんな方法があったかと瞠目させられる。

時代を現代に移すとこんな歌がある。

  佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず
                       小池 光 (歌集 日々の思い出)

このくらい凄い歌だと、やはりセンセーショナルになる。 人名の歌を論じるときには外すことができない。 この人物が実在の生徒かどうか、だれでも即座に考える。 しかし、いろいろ差しさわりがあろうにと、いくつかのことをだれでも瞬時に考える。 その実在か虚構かという境界を孕んだまま詠われているところが、また読者のイメージを否応なく広げる。 そういう歌である。歌は旧かなでも、歌集名は新かなで書くのか、などと妙なところにもまた感心する。

人名とリアリティー、これは歌の中に人名を見る度に思うテーマである。
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by Achitetsu | 2008-09-10 23:50 | 短歌論
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