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歌会の効用

            
 歌会では、自作の歌について第三者の声を聞くことができる。これは決定的な効用だ。複数の人が批評をすることによって、自分では思いもしなかった、自分の歌に対する読みを知ることも多い。
 歌会に歌を提出することは、自分の歌を第三者の批評・見方の俎上に載せることだ。そこでは、自分はこう読んで欲しいという弁解は無益だし、説明も不要だ。表現されて提出されたものは、すでに作者の思惑の外で自立する作品だから。

 ぼくらは歌を作り、推敲する。そのとき、いかに第三者の目をもって自分の歌を見、批評できるかどうかに悩む。しかし、自分で自分を第三者にはできない。第三者の目を想像するだけである。歌を一首作ったとき、その時点では自分で思う最善の歌なのだ。誰あろう、自分が一番いいと思っている。
 いいと思い作った歌を、あらためて第三者的に見るのは、とても難しい。それをいくらかでも解決するために、少し時間を置いて、その歌を忘れてみるのがよい。それが、三日間であったり、一週間であったり、半月であったり、人によって忘れる能力が違う。その点、歌会では自分以外の全員が第三者だ。

 歌会はまた、他人の歌についての、自分の読みを深くする機会でもある。緊張感のある歌会場では、いつ自分に発言の機会が回ってきてもいいように、もし自分だったらこう言う、という内容を考え準備する。それを発言しなくても、その歌について批評する人たちの意見と照らし合わせて、自分の批評自体を常に検証している。人の批評と同じこともあり、見落としていることもあり、全く逆のこともあり、ああ発言しなくてよかった、恥をさらすところであった、と思うこともある。
 そんななかで、誰も指摘しないのならばこれは是非言いたいという内容を発言する。それに対する反応をまた知ることが出来るのが、歌会の良さだ。
 双方向のフィードバックが常にリアルタイムで飛び交うのが歌会だ。

 ではウエップ歌会はどうか。
 私自身は二年ほど前からインターネット上で歌会をやり始めた。最初はリアルタイムの歌会をそのまま移したように、チャットでやってみた。これはこれで野心的な試みだったけれど、難しさもあった。参加者が同時にパソコンの前に座ってスイッチをオンにする必要がある。それは実際の歌会と同じだ。発言はすべてパソコン上に文字で表わされるので、文字打ちの遅い人の場合はなかなか難しい。
 また、発言を予めワードなどに参加者が打ち込んで、まとめておく試みもしたが、文字の分量が多くなると、その場で即座に読んで十分理解することが難しくなった。予め準備する発言内容に、行数制限をつけたりもした。
 大阪、九州、東京、秋田、それぞれの場所に居る人と同時に歌会ができるのがチャット歌会の効能で、なおかつリアルタイムで出来る歌会でもあった。しかし、定期的に催すには、つぎ込むエネルギーと、そこから得るものとの間にギャップがあった。皆が集合して大変な割りに、内容は微温的になってしまう。時間の制約があり、そのため発言も制約される。その場でキーボードに打ち込むという作業であるため、リアルタイムではあるが、丁々発止とはいかない。互いに、あるいはそれぞれに、発言を追いかけて討論の形式は取るが、全体に発言に深みが欠けた。
 そんな試行錯誤をしているうちに、メンバーもほとんど入れ替わり、現在の切磋歌会場の形式に行き着いた。ブログそのものを歌会場にしてしまう方法だ。これは、募集に応えて寄せられた詠草を、作者名は伏せてアップし、歌会期間中それぞれのコメント欄に発言を書き込むものである。
 これだと、じっくり考えて都合の好いときに書き込むことが出来る。後続の発言に対して何度でも新たに書き込むことも出来る。
 世話人であるぼくが、全員の発言の様子を見計らって、数日後に、「では作者名を明かしてください。」というお知らせをする。そのとき、作者が自解を書き込むのも自由である。
 この方法で、およそ月に二回、既に切磋歌会は四十回を超えた。方法はおそらく最善に辿りついた。しかし、歌会の質は、あくまで出された歌の質と、発言の内容にかかっている。そこに最大の要素があることは疑いが無い。そのために、切磋琢磨をもじって切磋歌会と名づけてあるのだが。

 さて、歌会の効用というとき、もうひとつ私が貴重に思うのは、詠草の提出というプロセスである。
 切磋歌会を例に取れば、歌会場のサイトに次回歌会の案内が出たときに、自由題一首の候補を考える。歌人によって、募集に合わせてそれから作る人、予め候補作を準備している人、あるいは複数の歌を常に推敲しつつ新たな歌を作っている人、さまざまであろう。
 そこに、一首を選ぶ作業が入る。これが重要なのだ。つまり、批評される歌として自作の歌を選ぶ時に、一瞬でそこに第三者の目が導入される。率直で歯に衣着せぬ批評者たちを念頭に置いて、これでは批評に耐えない、耐えると、選別している。
 これを、単に推敲作業をしている時と比べると分かりやすい。自分でいいと思って作った歌を、もっといいと思える形に改めて行く推敲。何れも自分の目である。そこに、提出するという選定作業が加わっただけで、新鮮な目が加わるのだ。毎回しっかりした読みをしてくれる、率直で辛辣な批評者たちを思うだけで、迂闊な歌は出せなくなってくる。そう思う気持ちが第三者の目をもたらせてくれる。
 こんな簡単な一事が、推敲中の自作の歌の自己評価を一段辛くしてくれる。歌会の効用のうちでも、詠草提出における効用である。
 歌会という機会を多面的に如何に利用するか。その効用をしっかり意識して参加することが大切であると考える。
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by Achitetsu | 2008-03-18 23:28 | 短歌論