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短歌とライブ4 

 切れと休止と韻律  (短歌人2008年1月号より転載)

 丁度一年前に、ピアニストそして打楽器奏者と出会いがあり、三人で短歌ライブのユニットを組むことになった。一年の活動の後に、この度解散したのであるが、その間合計十回のライブを行った。ライブハウスや古民家から小劇場やホテルの宴会場まで、様々な場所で発表した。
 ライブは、綿密なリハーサルを素に、当日は即興をふんだんに取り入れる、三人の真剣勝負のようなコラボレーションであった。
 自分の短歌を五十首読むのであるが、プログラムは渡さない。耳で聴いてもらうだけの短歌である。その為に、目で見て理解の補助が無ければ分からない言葉は使えない。難解な言葉は使わない。
 この一年間の経験で、平易な言葉で短歌を作るくせが身についたような気がする。単語でものを語らないという、ぼくがアメリカで初めて英語を勉強した時と似通った体験であったと思う。
 ライブの中で最も印象的だったのは、間の取り方であった。観客の反応は、ぼくの間の取り方に集中していたような気がする。勿論印刷された短歌を持たない観客は、演者の言葉を待つしかない。
 短歌に含まれる、切れ・小休止・大休止の効果の大きさに初めて気づかされた一年であった。観客の反応が、切れ・小休止・大休止に添うように揺れ動くのは魔法のようであった。これが韻律の力であろう。
 韻律に添うように、鍵盤と打楽器も間を存分に潜ませながら絡んでくる。一首の入りの、シナリオのない瞬間は、まさに三人の真剣勝負であり、結句の後には必ず見えない大休止を置いた。
 この結句後の休止は、まるで目に見えるように観客が感受して、ライブ現場の一体感を作り上げた。
短歌ライブは場の表現であり、
メンバーとの、そして観客との、相互作用であった。孤独に作歌する作業とはまた別の、反応をそのまま肌で感じることの出来る至福の場と時間であった。作歌が追いつかない程の多忙な一年であったが、悔いの無い時間を存分に過すことが出来た。メンバーとサポーターに感謝している。
by Achitetsu | 2008-01-15 22:50 | 短歌論
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